2021年8月、お盆前後の長崎県を襲った長雨で、雲仙温泉では複数の土砂災害が発生し、長年雲仙温泉の観光に尽力してこられたご家族3人の尊い命が奪われました。
あれから1年経った、2022年8月12日、亡くなった森保啓さん、妻の文代さん、そして長女・優子さんの残された妹さんたち2人が、感謝の思いを込めた演奏会を開きました。
2回に渡って、その様子を記録に残したいと思います。
【私たちはこの悲劇を忘れない、風化させない】
(演奏会の前半はこちらから→森さん家の演奏会①)
2曲目は、雲仙BASEの自然を生かしたフィットネスプログラムの立ち上げで優子さんと準備を進めていた理学療法士の浅岡良信さんが、優子さんの訃報を知り、知り合いのピアニストにお願いして作られたオリジナル曲「虹の花」が演奏された。
この曲のタイトルは啓子さんと真衣子さんが名づけた。優子さんが見つかった日の雨上がりに虹がかかっていたことや曲調が何度も花を咲かせるような構成で、亡くなった3人が築き上げてきたものを繋げ、未来に花を咲かせたいという想いを込めている。
この時から、まるで1年前を思い出してしまうかのように外は雨足が強くなった。
真衣子さんは演奏の合間に、3人の写真を時折見るような仕草を見せていた。
15分の休憩の後、今度は啓子さんが演奏台に立ち、今の思いを述べた。
「正直、まだ受け止めきれない自分もいます。しかし、時は虚しくも進んでいき、3人が生きていた日々が遠くなっていく。みんなにもう一度会いたい、あの家でまた過ごしたい、叶うはずのないの望みを何度も願いました」
と言葉を詰まらせながら話し、
「災害はいつ起こるかわかりません。私たちはこの悲劇を忘れない、風化させない。守ることができなかったこの経験を、備えることの重要さを私たちが伝えることが、これからの命を守ってくと信じています」
と誓った。
そして、
「今日は雨ですが、演奏会が終わったら復興した雲仙を楽しんでほしい。森家全員が喜びます」と締めた。
この言葉は優子さんが生前、テレビなどで「雲仙を楽しんでほしい」と強く話していた想いと重なった。
後半の1曲目は長崎市出身のアーティスト、福山雅治さんの「道標」。真衣子さんは「大人になって、両親へ伝えられる心からの言葉が詰まっている」と亡き保啓さん、文代さんに向け、語りかけるように演奏していた。
後半のステージでは、歌詞が、家族や友人、それに愛猫と撮られた写真とともにスライドされ、災害後、真衣子さんを支え続けた、星野源さんの「Family Song」やMISIAさんの「アイノカタチ」の演奏でも、真衣子さんのトランペットの力強い演奏とともに聴いている人たちの涙を誘っていた。
最後のアンコールは映画「リメンバーミー」から「リメンバーミー」と「音楽はいつまでも」。
真衣子さんは
「森家は誕生日などでおめでとうやありがとうを伝える家族でした。私たちは家族3人を亡くしましたが、私には姉、姉には私がいます。家族の代わりはいませんが、大切な人がたくさんいることは幸せ。たくさんの方との縁を作ってくれたのは亡くなった3人のおかげ。3人と過ごした、皆さんと過ごしてきた過去の時間に感謝しています」
と話した。
音楽家を目指す主人公が死者との繋がりで家族の真実を知り、成長していく・・・映画が伝える「家族の大切さ」と「いつまでも忘れないこと」を演奏を通して訴えているようだった。
そして真衣子さんは、最後に、会場を訪れた人たちにあるお願いをした。
それは「備えることの大切さ」だった。
防災グッズを備えること。避難場所の確認をしておくこと。災害は防ぐことは難しいが、もしもの時のために命を守るために、備えることはできる。
「『森さんちのようにならないように』と思っていただいて大丈夫なので、備えるきっかけにしてほしい。3人の死は正しい判断ができていれば、防ぐことができたかもしれません。ただ、起きてしまったことは取り返すことができない・・・つらい思いは自分たちの中に留めておくことができますが、3人が生きた意味が、精一杯生きた証が、消えてしまうと感じました。3人が亡くなってまでも伝えたかったこと、2度と後悔しないために2度と同じように悲しい思いをする人がいないように。生きている今、この瞬間に、大切な皆さんにお願いを込めて」
と真衣子さんにしか表現できない言葉で防災を訴え、演奏会を締め括った。
終演後は真衣子さんも演奏の緊張から解放され、笑顔で友人や懐かしい人たちと言葉を交わしていた。
あの日から、1年。
当たり前の日常が続いていれば、この演奏会は開かれなかった。2人が雲仙で家族と過ごした日々が暗い過去になっていた可能性もあった。2人にしかわからない、悲しさや苦しさのなか、私たちに前を向いて進んでいく姿勢を見せてくれた。
私たちはあの災害から、この演奏会から、2人が発したメッセージを教訓として受け取らなければならない。
啓子さんはお通夜の時も、がれきから大切なものを探している時も、今回展示された家族写真を見た時も泣いていた。とても優しい人で、一生分の涙をこの1年で流したんだろうと思った。
真衣子さんは、とにかく笑顔で、私がどう声をかけていいかわからない時も、気を遣って話を切り出したり、家族の話を自分からしてくれたり、しっかりと自分の言葉で意志を伝えられる芯の強さがある人だった。
啓子さんと真衣子さんがこれからも、今見せている笑顔が絶えない日々を送ってほしいと心から願っている。
おわり。