運営者は誰?

このウェブマガジンを本格的に開いて約3ヶ月。なかなか更新ができていなくて申し訳ないです・・・。

それでも、SNSからのぞいてくれる人もいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、このウェブマガジンを運営している私について「一体何者なのか?」と言われることもあり、この編集後記を利用し少しだけ紹介したいと思います。名前は仕事との兼ね合いでちょっと名乗ることができません。

因みに、このウェブマガジンに関する私の思いは、右上のメニューページ「このサイトについて」に書かせていただいています。こちらもあわせて読んでいただければ幸いです。

私は今の雲仙市吾妻町(旧南高来郡)で農業を営む祖父母、両親、そして妹の6人家族の家に生まれ、育ちました。地元の小・中学校を卒業後、諫早市の高校に進学しました。この高校はスポーツにも力を入れていたので、県内外からいろんな人が集まる場所でした。野心と目標の高い?周りに流されるつもりはなかったけれど、「もっと広い世界を見てみたい」と県外への進学を強く思うようになったのはこの時期だったと思います。

そして、富士山のふもとの静岡県にキャンパスのある大学に進学しました。大学時代は幼い頃から興味のあったメディアの仕事に関わりたいと、アルバイトを頑張って、東京のテレビ局のスクールに通ったり、渋谷のスペイン坂までラジオの公開放送を見に行ったりしていました。

しかし、東京での就職活動に失敗。地元に帰ってきました。

結婚式の映像を撮影する設立したばかりの会社で映像の師匠とも言える方に出会い、基礎を学んで、地元のタウン誌で編集者の仕事もしました。デザインや広報の仕事をしていた時期もあります。

振り返ると「挫折」と「遠回り」を繰り返しながらも、さまざまな人に出会い、成長させてもらいました。はじめはもっと都会で成長したいと思っていましたが、長崎でもできることは多かったと思っています。

今はこれらのすべての経験を活かせるテレビの仕事にめぐりめぐって関わらせていただきながら、このウェブマガジンを運営しています。

ではなぜ雲仙市を紹介するウェブマガジンか?

テレビの仕事をしていると、地元の知らないことに触れ、もっと掘り下げて紹介したいとか、良い部分はもちろん、課題も見えてくるとか、有名な人以外に地道に頑張っている人を紹介したい・・・そんな想いをどうにか形にできないか欲が出てきます。おかげさまで、前述したさまざまな仕事を通して知り合った人たちが、写真やデザインに関わってくれ、私の願いを叶えてくれました。

このウェブマガジンは、一般的な観光や街を紹介・PRするサイトではありません。それは、雲仙市や観光協会が行っています。あくまで「記録に残す」ことを目的に頑張り、次世代につないでいきたいと思っています。

ターゲットは、市外、県外で頑張っている雲仙市出身の皆さんです。ウェブマガジンはそんな遠くで頑張っている皆さんに届きやすいと考えました。少しずつ皆さんに読んでいただけるよう、コロナの状況を見ながら都市部の方でもお知らせできる機会を増やしていければと考えています。

仕事をしながらの運営になりますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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